投稿者:23nagaoka 投稿日時:2016/6/29 16:05 題名:大川三郎雪景画 メッセージ:  同じく応接室に掲げる。大川は明治36年生、東京高等師範学校理科(生物)卒。堺中学校教諭から、昭和15年3月十六中学校に着任、同21年4月から同36年3月まで3代教頭を勤め、その間佐々木校長公職追放時は校長事務取扱の地位にあった。教頭職15年は府でも他例はあるまい。学生時代から「三奇人」と噂された頑固一徹の変り者、火の玉の如き熱血漢、殴る蹴るの乱暴教師ではあるが情に厚く、配属将校が軍人になって護国の鬼と散れ!と訓示すや、すかさず朝礼台に上って、「しかしお前さん方は生きて勉強せんとな」と平然といい放った。剣道の高段者だが趣味は菊作り、油絵、写真と多彩、教頭のくせに素足になって便所掃除をするかと思えば、絵筆をかついで山野を歩いた。専門は生物の細胞増殖に関する独特のジャンルで、後に成溪女子短大で講じた頃は、全くの好々爺であった。池中から池高へ、動乱の時代にあって「承風精神の権化」ともいえる大川を、敬慕私淑する卒業生はまことに多い。「恩師」と呼ぶにふさわしい本校最大の教育者である。故人。  この雪景画は彼の晩年のもの、北国の民家集落を雪山を背景に描いているが、遠近法や構図など頭から無視した大胆な俯瞰図である。但しデッサンは確か、黝んだ色調と存外繊細なきめの細かい筆致に、その人柄の一面を見る。何度も画廊で個展を開いている。 ----