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投稿者 スレッド
23nagaoka
投稿日時: 2012/5/20 16:52
管理人
登録日: 2012/2/9
居住地:
投稿: 156
メタセコイア
 
 昭和16年三木茂博士(大阪市立大教授)は太古の巨大な樹木の化石を発見、「メタセコイア」と命名して発表した。次いで同23年、中国四川省の「水杉の谷」で、胡・鄭両氏が繁茂しているメタセコイアを発見し、広く海外に紹介した。その折両氏は三木博士に何本かの苗木を育てて寄贈している。
 同28年三木博士の子息三木隆(5期)は苗木の一本を卒業記念として本校にプレゼント、大川三郎教頭が自らシャベルで穴を掘り、無造作に植えたのが、現在のものである。当時は小さなむちぐらいだったという。
 博士は同49年死亡するが民子夫人は同63年中国の学者の招きで「水杉の谷」を訪れ、亡夫を偲びながらメタセコイアと対面、マスコミが大きく報じた。
 なお同49年本校のメタセコイアは「雌雄両花」が揃って咲いた。喜んだ平賀正男(生物)は、「日本での雄花の開花は昨年、京都大学演習林のメタセコイアだけであるから、本校のはわが国第2号である」と記している。
 三木隆は現在千葉大学医学部助教授、植物ウイルスの研究では海外にも知られた学者である。


[コメント]
 メタセコイアについてとても簡潔にまとめていらっしゃいます。せっかくなので、正門横のメタセコイアに関わるエピソードとして多少補足します。三木 茂「メタセコイア」、斎藤 清明「メタセコイア」、生物の平賀 正男先生に提供していただいた資料に拠って書いていきます。先生は本文にあるとおり、本校のメタセコイアに雄花が咲いているのを発見なさいました。1970(昭和45)から1984(昭和59)年までのご勤務です。

◇ 「生きている化石 メタセコイア」の発見
 三木茂博士は古代の植物化石の研究過程で見つけた植物を「メタセコイア」と名付けて1941(昭和21)年発表しました。しかし、その論文は戦争の影響で、世界の研究者にはほとんど届きませんでした。一方、同年中国四川省の湖北省境にある磨刀渓で、南京大学の干 鐸教授が学会で知られていない樹木が生育しているのに気づき、2、3年後、林務官の王 戦が現地調査(1943、44、45年諸説あり)しました。報告を受けた南京大学の鄭 万均教授が、北京静生生物研究所長 胡 先驌博士に鑑定を依頼。三木博士と面識があり、上記論文を個人的に贈られていた胡博士は、「メタセコイア」であると同定し、1946年中国の「地学雑誌」に発表しました。さらに、アメリカのハーバード大学メリル博士にも報告。メリル博士は三木論文を読んでいませんでしたが、「生きている化石」の発見に驚き、胡博士にメタセコイアの採種を依頼。1947年、胡博士、鄭教授が中心となり探検隊を組織し、採集した種子をアメリカに送付。1948年到着した種子を播種し、発芽したのを確かめたメリル博士は、同年「生きている化石 メタセコイア」として世界に紹介しました。なお、メタセコイアの発見は、同年、胡・鄭連名で「北京静生生物研究所所報」でも報告されました。

◇ 日本に送られたメタセコイア
 日本では、1949年東京の小石川植物園と皇居にはじめてメタセコイアが植樹されました。皇居の苗木は、カリフォルニア大学のチェイニー博士が香港在住の宗教家 福田 美亮師に委託して贈呈したものです。チェイニー博士も三木論文を読んでいませんでしたが、やはり胡博士からメタセコイアの報告を受けており、国共内戦中の1948年、中国の現地に赴きメタセコイアの雄花などを収集しました。チェイニー博士は、三木博士の功績に報いることと、日本の風土がメタセコイアの生育に適しているか、という研究者としての関心から、日本に苗木100本を寄贈しようと希望していました。その意向を受け、日本の植物学者たちが「メタセコイア保存会」を結成し、受け入れ準備を整えました。実務の中心はもちろん三木博士。1950(昭和25)年3月、同会に送られてきた100本の苗木は日本各地の大学、植物園、研究所などに配られました。池田高校の正門横のメタセコイアはその1本という話もありますが、小・中学校、高校はそのリストに入っていません。

◇ 池田高校のメタセコイア
 平賀先生が三木民子夫人から直接電話でお聞きになったところによると、本校正門横のメタセコイアは、京都大学の演習林に植えられた木から採られた苗木です。本文にあるように、ご子息三木 隆氏の卒業記念として贈られ、1953(昭和28)年3月に植えられました。三木博士ご自宅のメタセコイアも同時期のものだということです。ご自宅に植えられた木は斎藤「メタセコイア」に紹介されています。

◇ 雄花の開花
 日本各地に植えられたメタセコイアは、1973(昭和48)年から雄花をつけはじめたことが報告されはじめました。池田高校では1974(昭和49)年、平賀先生が正門横のメタセコイアに雄花が開花しているのを発見。これが日本での報告第2号として、3月25日、朝日新聞で紹介されました。

〔雄花発見当時のメタセコイア〕

〔28期の生物部員が木に登って採取してきた雄花〕


◇ 三木 民子夫人 メタセコイアの故郷訪問
 本文にあるように、1988(昭和63)年6月三木 民子夫人が中国の旧四川省磨刀渓に生育する樹齢450年以上のメタセコイアを訪れました。1948年チェイニー博士が訪れた木でもあります。現地ではメタセコイアを「水杉(スイサ)」と呼ぶそうです。
 一行6人の代表は荻巣 樹徳氏。四川大学に留学経験があり、同大学名誉研究学者の同氏が民子夫人の希望を受け、中国政府に申請、5月に許可されました。『池田五十年史』に掲載されている毎日新聞の記事は、一行の1人斎藤 清明氏の署名記事です。


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