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 » 創立60周年記念誌より 「古木延命保存会」 23nagaoka 2012/2/26 18:12
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23nagaoka
投稿日時: 2012/2/26 18:12
管理人
登録日: 2012/2/9
居住地: 大阪府豊中市中桜塚
投稿: 154
創立60周年記念誌より 「古木延命保存会」
 「古木延命保存会」が、1995年(平成7)年から1996(平成8)年にかけて組織されました。春には満開の花で、夏には枝いっぱいに茂る葉のみずみずしさで生徒、教職員はじめ池田高校関係者の心を豊かに満たしてくれてきた桜や欅などの衰えが目立ってきたので、なんとか勢いをよみがえらせようという目的のためです。多くの卒業生の賛同と支援でみごとに古木をよみがえらせることができました。そのいきさつが創立60周年記念誌『承風』 ― 2000(平成22)年11月11日発行 ―に報告されています。
筆者の承認をいただき、ここに再録します。
 なお、文中に明治34(1901)旧制池田中学校設置と書かれていますが、同年に設置準備が始まり、創立は明治36(1903)年です。同39(1906)年に廃校になりました。この大阪府立池田中学校については別にフォーラム(掲示板)を設けています。

「古木延命保存会のこと」 田口 梅屋(高24期)

6月3日 /“池高の桜”の保存を考える集い/
 春ごとに美しい花を咲かせ我々の心を慰めてくれる本校の桜、しかし昔の桜を知る者の目には、近年の樹勢の衰えは著しく、会議室の窓から見える名樹「本館歪曲老桜樹」も、その背後自転車置場周辺の大木も、枯枝や枯幹が目立ち、痛々しく映ります。そこで、池高の歴史を見守ってきたこれらの老桜樹を枯死から救い、何とか保存していくために、標記の集いを開きたいと思います。体育祭前のお忙しいときではありますが、万障お繰り合わせの上お集まりください。
    /記/6月8日(木)午後3時/図書室別室/(浜中、田口)


 1995年(平成7年)4月、きっかけは恒例の職員写真撮影の後で、本校教諭で卒業生でもある浜中と田口が、サクラの木の下で、近年の樹勢の衰えについて語り合ったことからである。木造校舎時代に本校で学んだ浜中にとって、桜は数少ない当時のままの物の一つであるという。田口にとってもその数年前母校に赴任したとき、本館2階会議室の窓ガラスに掛かるほど満開の枝姿に感動したのを覚えている。それがここ数年の間にめっきり勢いが衰え、枝や幹の痛みが目立ってきたのである。
 当場所は古くは渡来人が開いた土地で秦野の丘と呼ばれ、昭和初期まで数千本の梅樹があり有名だったらしい。旧制池田中学校は明治34年に府立第九中学校として設置されるも日露戦争後の財政窮乏が主因で廃校、再び昭和15年に大阪府立第16中学校として天王寺の府立盲学校跡校舎を仮校合として開設され、翌昭和16年に府立園芸学校が移転した跡の現在の場所に移転した。その当時の校舎配置図には既に「樹のマーク」とともに「サクラ」、「ケヤキ」と記されているので、おそらく園芸学校時代に植えられたものであろうか。その後、今に残る昭和18年、24年、35年、63年の配置図は、二度の火災に見舞われ様相を大きく変えていった本校の歴史を物語るが、ずっと定位置に記された「サクラ」と「ケヤキ」は、静かにその歩みを見守ってきたことを証明している。そして特筆すべきは昭和43年本館建設に伴う伐採危機の折、設計変更をし西半分を北側にずらせてまで桜樹3本を守ったこと。「本館歪曲老桜樹」と呼ばれる所以である。詳細は紀要『承風』11輯所載「本校史跡ガイド」(三善貞司)に詳しい。ともかく60年間今の場所で、しかも戦中戦後の激動の時代を経て今日まで、本校に学んだ全生徒とその教職員を見守り、そのすべての心を美しい花で癒し続けてきた事実に変わりはない。そのいわば池高のシンボルともいえる名樹を、今なにもせずに放置して枯れるに任せてしまっていいものだろうか。
 当時、教職員の中で池高卒業生は浜中由朗(理科、12期)、氏林操(司書、16期)一谷英晴(数学、20期)、北坂好江(実習助手、22期)、田口梅屋(書道、24期)、芳澤裕之(数学、28期)、岡野良彦(数学、32期)、菊池美奈子(養護、32期)の8名。それに教職員の人事異動と退職により15年以上勤務の教職員は藤本務(昭42~、保健体育)、長谷田三保子(昭43~、美術)、竹中治夫(昭44~、社会)、佐桑光治(昭46、数学)、上杉一晄(昭52、音楽)、矢野治(昭52~、技師)の6名になっていた。少なくとも往時の樹をこ存じのこれら14名に、生物科の武田繁典、川岸清校長、東浦勉教頭、工藤喜一事務長を加えた18名にとりあえず集まってもらい相談することにした。冒頭の文書がそれである。
 “集い”で話し合った結論は、とにかく樹医に診断してもらい、蘇らせる方法があるのか、あるとすればどれぐらいの費用がかかるのか診てもらおうということになった。樹医には心当たりがあった。
 箕面市立中小学校の西側を南北に走る市道才が原線という狭い二車線道路がある。通称「桜通り」といい「大阪みどりの百選」に選ばれて両側に古く立派な桜並木が続いている。その頃たまたま見たテレビ番組で樹医山野忠彦氏の活動の紹介をしていて、氏が通りの桜を治療したことが映像とともに紹介されていた。氏はそれまで未開発であった樹木の治療技術を独学で研究開発し、戦後日本で初めての樹医としてこの30年間に全国各地の1000本以上の老木や巨木を治療されたという。工藤事務長と一緒に桜通りを視察後、箕面市役所公園課を訪ね、担当者に桜通りの治療工事の概略説明と山野氏が代表をされている日本樹木保護協会を紹介してもらった。
 その前に学校出入りの植木屋にも見てもらって相談したところ、桜は寿命が短いので若い樹を植えて更新していった方が良いこと、また3本の桜については狭い場所に植えられているので2本伐って1本にした方がよいとアドバイスされた。話は分かる、しかし池高のシンボルを簡単に伐るわけには行かない。この桜は3本あるからこそ目印として意味があるのである。
 早速、協会に診断の依頼をした。樹医の山野氏は現在95歳(平成10年98歳で永眠)で引退されていて、山野氏と一緒に全国を治療して廻られた山本満氏の令息で現在理事長をされている樹医の山本光二氏が6月12日午後に来校された。「本館歪曲老桜樹」3本を含む本館西側の桜古木7本と西門脇の桜古木1本、それに本館と中館の間の中庭西にあるケヤキを診てもらった。
 ケヤキは数年前の強剪定により枝が異常叢生し、また何時の頃かは不明だが落雷にあったらしく主幹の南側の内部木質部が大きく露出して内部腐朽が進行している。放置すればいずれ空洞化し寿命は短くなる。
 ソメイヨシノは明治初年に東京染井の植木屋が売り出したオオシマザクラとエドヒガンザクラの交配雑種で、葉に先立って大きな花が枝を埋め尽くして賑やかに咲くので人気があり、全国で最も広く植栽されている。本校の桜もこのソメイヨシノである。ただ交配種だけに弱く、「桜切る馬鹿‥」の喩えどおり切り口から腐朽菌に冒されやすいのも事実である。ソメイヨシノの大木が少ないのはこの品種がまだ新しいからということと、一般に樹勢が衰えたら伐って若木に更新していくから。
 しかし樹勢は衰えても、適切な治療と世話によっては寿命はまだまだ延びるということであった。
 桜は木質腐朽が進行しており、本館建設時に伐採は免れたものの間際まで根が伐られたこと、加えてコンクリ-ト通路が設置されたことも厳しい環境を作っている。西門脇の桜はもう手の施しようがないが、あとの桜は治療すれば良くなるということなので見積もりを依頼した。
 後日届いた見積書は、痛みの激しい桜3本で約64万円、「本館歪曲老桜樹」3本で約241万円、塀の際の最も大きい桜が1本で約96万円、ケヤキが約75万円、総額約480万円、思いの外の大金である。
 これを受けて7月5日、再度集まりをもった。そして少しでも多くの古木を助けるために池高卒の職員が中心となって、同窓会組織を中心に、在学生や保護者、池高の職員等にもはたらきかけて寄付金を募り、優先順位を決めて集まった額により工事にかかる、踏圧が悪影響なので自転車置場の移転を含め周辺整備を計る、さらに募金活動をする以上、正式にしかるべき会を発足させる必要があるということになった。

 大阪府立池田高等学校古木延命保存会規約
 第一条 本会を大阪府立池田高等学校古木延命保存会という。
 第二条 本会の事務局を大阪府立池田高等学校(以下「学校」という)内に置く。
 第三条 本会は学校のシンボルともいえる古木の延命保存を目的とする。
 第四条 本会は学校の在学生、教職員、卒業生、ならびに在学時の保護者で、
     本会の趣旨に賛同する人々をもって構成する。
 第五条 本会の経費は寄付金をもってこれに充てる。
 第六条 本会には次の役員を置く。
    (イ)会長一名 (ロ)事務局長一名
    (ハ)会計一名 (二)会計監査二名
    (ホ)顧問(校長、承風会長)
 第七条 本会は会の目的が完了した時点(約二年)で解散するものとする。


 これに樹医による診断報告書、見積書、前掲の紀要『承風』と『池田五十年史』の該当箇所のコピー等を添えて浜中より提出された議案は、8月31日の職員会議で可決承認された。会長は浜中、事務局長は田口、会計は岡野、会計監査は一谷、芳澤。
 その後9月、文化祭に来校された中山正義承風会会長、服部吉三後援会相談役、織田豊石PTA会長に経過報告説明し、相談した。
 そして11月13日に承風会緊急特別幹事会を開いてもらい、浜中と田口で説明した。全部一括して施工した場合の見積を取る、急を要するので工事は着工する、代金は承風会で立て替え、集まった分だけ順次返済する、「承風だより」に募金の記事を書く、寄付金は一口1000円で広く募る、口座を開設し「承風だより」に振込用紙を同封する、校長から府へも働きかけをしてもらうこと等が決まった。
 翌日、日本樹木保護協会の山本氏に電話し、一括見積の再提出とスケジュールの送付を依頼した。3日後届いた見積書で約20万円減になること、工期は1月22日~2月2日になることを知らせてきた。
 11月28日放課後、9月以降の状況、全体見積書、工期等の報告会を校内で開く。
 年が明けて1996年、1月末で三年生の授業が終わることもあり、予定を二週間遅らせてもらい2月12日~同月24日の予定で治療工事が始まった。枝や幹の枯れた部分を完全に切除し特殊な保護剤を塗布、幹の表面に付着している苔類を除去、穴傷や木質露出部分の腐朽部をノミで丁寧に切除し殺虫、殺菌する。古い傷口の木質内側に巻き込んでいる形成層を整切除し、虫類菌類雨水等が入らないように、且つやがては形成層がこの支持体の上を伸長して覆うように穴傷を鉄筋入りモルタルで完全に塞ぐ。土壌の入れ替えについては、根を痛めぬよう手と僅かな道具を使っての作業、根の発根促進処理と薬剤による土壌の殺虫殺菌、土壌改良のための木炭チップ投入と樹勢回復のための施肥等着々と延命治療の工程は進む。
 同時に、1月30日付けで「母校の古い桜とケヤキを救おう!」という記事を掲載した『承風だより』第33号が発刊配布され、中山会長が冒頭の挨拶で傍線を引いて強調していただいたこともあり続々と寄付金の振り込みが始まった。また在校生の保護者に向けて趣旨説明と寄付依頼の文書が配られた。続いて2月25日の読売新聞朝刊に“よみがえれ「池田高桜」”というタイトルで写真入りで大きく載せていただいたこともあってか、振込は順調に続いた。また振込用紙送付依碩や某大阪市立高校の先生から生徒に樹医志望者がいて山本樹医の話を聞きたいので電話番号をという依頼などもあった。一方、川岸校長の尽力の結果、大阪府教育委員会から経費の一部として約100万円府費負担していただけることになった。
 3月末日までで寄付金総領は約240万円だったが、4月6日時点で300万円を突破した。これに承風会より約119万円を借りて支払いを済ませた。
 4月8日、新入生の保護者宛にも同じ文書が配られた。4月14日の恒例の承風会総会でも説明報告と募金をした。5月6日梅田スカイビルにおいての23期卒業25周年、24期卒業24同年の記念ジョイント同窓会でも募金を呼びかけた。
 6月での総額は約400万円となり教育委員会からの約100万円と併せて約500万円、一方、古木の延命治療に要した費用が約459万円、振込用紙印刷代が約2万円で支出合計461万円、募金を始めて5ケ月で目標を上回る浄財が寄せられたのである。保存会では承風会から借りたお金を返し、余ったお金でまだ古木といえないが今少し手を入れておいた方がよいと思われる校内の桜の樹の治療をし、残りを承風会の基金に入れることにし、職員会議に報告、承認された。追加治療は2月17日~21日、12本の桜に対して行なわれた。7月19日発刊の『PTAおしらせ』第36号と翌1997年1月31日発行の『承風だより』第34号に、浜中保存会会長の報告とお礼の文が掲載された。2月21日の承風会定例幹事会で、続いて4月13日定例総会で報告し、古木の延命保存治療と募金のために結成された本会は当初の目的を達成し解散した。最終的に1634名の方から4,162,621円の浄財が寄せられた。
 本来ならば寄付していただいた方のご芳名を『承風だより』に記してお礼申し上げるべきところ、これだけ多くの方々のお名前を整理するだけの余力がなかったことと、また印刷費、郵送料の理由からも断念し、その分治療に回させていただいたことを、遅ればせながらお礼方々お詫び申し上げたい。振込用紙の通信欄の多くにはそれぞれの熱い想いが記されてあった。最後に、その中からお一人だけご紹介したい。

平成の桜守の各位へ
 何を隠しましょう、私は旧職員で古木の桜にひそかに心を寄せている一人です。と申しますのは70年の昔弱冠15歳、私は承風台の旧名秦野の丘に開設された大阪府立園芸学校に生徒として学びました。後年作業科教員とし校内の桜の管理に励み、大阪教育大に転じて後もずっと老樹の桜を遠くから眺めて居りました。この度の古木延命保存会の発足に当たり些少ではありますが小枝の一本でも活かして下さることを願って止みません。老骨の願いよろしく。
  悪筆御寛恕下さい。  岡本義春


 余録であるが、テレビ朝日「すてきな宇宙船地球号」という番組で国内取材第1号として『樹木の声を聞け』と題する番組を制作する「(株)えふぶんの壱」という会社から、山本樹医を通じて取材申し込みがあった。編集趣旨は「人々と樹木のふれあい、特に思い出に重なる樹木が皆一本は必ずある、そんな身近な木を大切にしよう」というもの。今回の本校の取り組みとそれに寄せられた多くの想いが番組を見たより多くの人に伝わるならすばらしいことだと思い、取材を受けることにした。番組は6月15日(日)午後6時30分~30分間テレビ朝日系列全国ネットで放映された。またこれを偶然視られた神奈川県在住の卒業生の方から、思わぬお札状を戴いた。今後もせめて母校にいる間は、身近にいる者としてこれら古木「承風桜」、「承風欅」を見守っていきたい。(敬称略)

[コメント]
 筆者の田口梅屋先生は、今回、正門脇のメタセコイアについて苦情が持ち込まれたさいも、力を尽くしてくださいました。メタセコイアが伐られず、剪定でおさまったのは先生のおかげです。「身近にいる者としてこれら古木を見守っていきたい」という決意をつらぬかれました。


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