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23nagaoka | 投稿日時: 2012/2/9 22:04 |
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『池高新聞』より 池高の植物 ケヤキ
『池高新聞』第176号―1974(昭和49)年12月24日―より
「池高の植物2 校史を見守るケヤキ」 ケヤキ(ニレ科) 化学実験室の南側に、細かく枝分かれしていて、樹形の美しい夏緑高木ケヤキがある。葉の緑、紅葉もまた美しい。その木陰にはベンチがおかれ、憩いの場となっている。 樹高一一・六メートル。校内ではメタセコイアに次ぐ背の高い木で、池高樹木の最古参の一つに数えられる。 昭和十六年春、本校の前身である池田中学校が、今の校地に本拠をかまえたとき、このケヤキは、すでに現位置にあったことが記録されている。当時の樹高は八メートル。 小野先生(地理)のお話では、生徒がよくこのケヤキに登り、てっぺんからわら縄を下げたそうだから、この時から生徒に親しまれていたことがわかる。 以後、この樹は、二回の火災は勿論、三十余年に大きく変わる池高を見た。また、集まっては分かれていく池高人の語らいも聞いてきたのである。 現校舎の建築工事は、約一〇年前から始まった。このケヤキは、北側を鉄筋の基礎工事で、次いで南側は大きく土を削りとられて、かなり根を傷めてしまった。 そのため新緑は一斉に出揃うが、水の少ない夏は耐えられず、根元に近い僅かの枝を残して夏に落葉する時期がしばらく続いた。 しかし、その間、新しい根を張り、一昨年、はじめて夏の落葉もなく、秋に見事な紅葉をみせてくれた。 続いて昨年は種子をつけ、今春第二世が根元近くの芝の間から双葉を出した。今、その一部は、芽生えをみつけられた津田先生(化学)らの手で移植され、大事に育てられている。 写真は、今春撮影した果実である。葉腋の小さい枯葉をつけたまま小枝ごと折れて、風で運ばれるという、変わった分散のしかたをする。 ケヤキは、我国では人里近くに広く自生している。ケヤキの名は、けやけき木(顕著な木)によるもの。長寿の木で、しばしば大木になる。自然開発が進んだ現在でも川岸や神社には大木が数多く残っている。なかでも、青梅市の神代ケヤキは、樹高三〇メートル、幹囲九メートルもあり、天然記念物に指定されている。 関東を旅すると、ケヤキはごく普通で、どこででも見られる。自然林を伐った跡地に自生したものと思われるが、昔、幕府も財を得るため植栽を奨励した。江戸名所図会によれば、武蔵野一帯の風景は、ケヤキ一色でぬられていたとある。伊達政宗らも、同様に植栽を奨めたので、宮城・福島にも巨木が多く、埼玉と共に県木とされている。 ケヤキは古く、ツキ(槻)と呼ばれた。万葉集には、「春されば、植槻が上の遠つ人」など、槻とみえる歌が七首あり、上代から好んで植えられていたと考えられる。今昔物語には、鋳造した釈迦銅像(現存)を安置する堂を飛鳥に建てるため、槻の大木を伐ろうとしたが、何回試みても樵が死んでしまう。槻のいうとおりにお祭りをして、やっと倒したという話がある。 ケヤキは我国の人里近くに自生する樹で、美しくよく大木になり、利用度も高いので、古くから親しまれ、また、尊ばれ続けた樹である。 〔コメント〕 これは約35年以上前の記事です。そのつもりで読んでください。 文中の「小野先生」は、小野昌和先生で、旧制池田中学校第1期生です。「津田先生」は津田昌信先生です。 1996(平成8)年の古木保存事業でこのケヤキも手入れされました。2006(平成18)年、根元の大きな空洞部分にミツバチが巣を作り、そのミツバチを狙ってスズメバチが集まってきていたので、翌年その空洞をふさぎました。 |
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