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» 『池高新聞』よりメタセコイア | sftest | 2012/2/9 11:31 |
Re: 『池高新聞』よりメタセコイア | ゲスト | 2012/2/22 18:48 |
Re: 『池高新聞』よりメタセコイア | 23nagaoka | 2012/2/23 13:45 |
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sftest | 投稿日時: 2012/2/9 11:31 |
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『池高新聞』よりメタセコイア
『池高新聞』第175号―1974(昭和49)年5月31日―より
筆者は生物科 平賀正男先生です。これを第1回として池田高校の植物を紹介する記事が連載されました。 育つ池高のメタセコイア 雄花の開花は本邦第2号 発芽が興味の焦点 校庭の西側に池高で一番背の高い樹木がある。これは「生たき化石植物」として知られたメタセコイアで、スギ科に属する落葉針葉樹である。樹高十八メートル、幹の直径六十センチのこの樹に、今年の三月はじめて雌雄両化が揃ってつき、話題となった。 中国から移入されたこの樹が日本で開花したことは、学問的にも極めて重要な意味をもち今後の生育が注目される。結実した種子が発芽して育つことが確認されれば、一旦絶滅してしまった種が、日本の気候風土の中に再びよみがえることになり、開花は、その第一歩を示す訳である。 例えば、池高周辺のサクラは毎年美しい花を楽しませてくれるが、種子から苗木は出来ない。人工的に、ふやしてやらないかぎり親木が枯れればそれでおしまいである。 メタセコイアが、この樹一代で終るのか、あるいは種子から発芽して次々と自生し続けるのかは興味ある楽しい問題である。 三木博士の功績 池高のメタセコイアに雄花がついたことを記念してメタセコイアにまつわる事柄をいくつか紹介したい。 生きた化石という言葉は大むかしからほとんど進化しないで現在にいたったとみられるシーラカンスやカブトガニの他、メタセコイアやイチョウのように、大むかしには広い地域に分布していたが、いまはほとんど絶滅してしまい、ごく限られた狭い場所にのみ生育している場合などにも使われている。 メタセコイアの化石は、中生代の終り頃から、新生代の第三紀の地層にかけて含まれており、約百万年前は、セコイアと共にメタセコイアの森性が北半球各地に、広く分布していたと考えられている。 この化石が発見されたのは約百年前で、はじめは、セコイアやヌマスギと同じ種として扱われていたが、昭和十六年(一九四一)三木茂博士が日本の第三紀の地層中に含まれていた化石をもとに、メタセコイアの新しい属として報告されたのが最初である。 35米まで伸びる? 当時は、北米の巨木であるセコイア類(樹高百メートル樹齢三~四千年)を除いては、絶滅した種として研究が進められていたが、昭和二十年、中国の湖北省と四川省の境にある揚子江の一支流磨刀渓の奥地に、三木博士が報告されたメタセコイアの現生種があることが中国の学者によって発表され、「生きた化石植物の発見」として戦後世界の明かるい話題となった。中国で発見された現生種は、樹高三十五米、直経二、三米の大木なので、池高に植えられているものも更に成長を続けると思われる。 日本にメタセコイアが届いたのは、昭和二十五年である。中国で採取された種子が米国の研究者に送られそこで発芽した苗木のうちの百本が、日本におけるメタセコイアの研究に敬意を表して、またわが国の気候が中国に似ているのでその保存もかねて贈られたものである。 卒業記念として 池高のものは、三木茂博士の御令息(本校五期生、三木隆氏)の卒業記念として、音楽室の多目的コート側にあるセコイアと共に昭和二十八年の春、博士の手で植えられた。苗木は、米国から贈られた百本の親木から京大演習林の職員の手で、さし木によってふやされたもので、移植された時は、 わすか五十センチの高さであった。 メタセコイアの雌花の開花は、日本のものでは、十年目頃から知られているが雄花の開花については、昨年(二十三年目)京大演習林のものが知られているだけであり、雄花の開花としては、池高のものが日本で確認された第二号となる。 この記念すべき大木、メタセコイアを、大切に見守っていきたい。 〔コメント〕 正門横のメタセコイアに雄花が開花したことは、1974(昭和49)年3月25日、朝日新聞で紹介されました。 正門横にこのメタセコイアが植えられた様子を、篠田恭一先生が創立40周年記念誌に書いていらっしゃいます。このフォーラムに再録しています。 |
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