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23nagaoka
投稿日時: 2012/2/14 16:40
管理人
登録日: 2012/2/9
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投稿: 156
『池高新聞』より 池高の植物 サクラ
『池高新聞』第178号―1975(昭和50)年9月1日―より
「池高の植物4」


サクラ(バラ科) 
 池高の新学年は桜の花につつまれてスタートする。青い空と、白いタイルの校合を背景に、明るく咲き揃った桜の花の下で新しいクラスメートの記念撮影をする。本校を卒業していった人達が、年に一度この花の下に集って、承風会か盛大に開かれるのもこの頃である。
 わが国で桜が特に愛されるようになったのは平安以後である。いまでは桜は、わが国を代表し民族の心をあらわす花、とまでいわれるようになった。アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパなどにも桜並木が贈られ、ジャパニーズチェリ-として国々の春をいろどっている。
 サクラ属(Prunus)に含まれるものは、世界で約二百種類が知られており、北半球の温帯・暖帯に分布している。わが国にはそのうちの二十数種類が、北海道から九州にわたって自生しているが、桜の園芸品種は百を超えるという。
 桜を示す文字は古く古事記にみられ、天照大神が天の岩屋におかくれになったとき、天香具山の桜の枝をそえて神々が占ったとある。
  見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 咲き匂へるは 桜花かも
  春丹よし 奈良の都は 咲く花の 匂ふがごとく いまさかりなり
 など、万葉集には桜をよんだ歌が四十二首ある。当時はあらゆる面で中国風が尊重され、集中にも中国から渡来した梅をよんだ歌が数多いが、ヤマザクラはやはり万葉人の心を深くとらえていたと思われる。
 古くから自生しているヤマザクラに由来する桜は数多い。
  いにしへの 奈良の郡の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
のヤエザクラも、その中の一つである。普通八重桜は実をつけないが、ナラノヤエザクラは時に実をつけるので珍らしく、天然記念物に指定され、また、奈良の県花でもある。
 ソメイヨシノ、これがいま桜を代表するものである。好んで栽培され各地で桜の名所をつくっている。ソメイヨシノの原種は済州島に自生しているともいわれるが、オオシマザクラとエドヒガンの雑種であると考えられている。この桜が各地にひろがり始めたのは、意外に新しくて明治維新の頃である。東京、染井村の植木屋から吉野の桜にちなんだ「ヨシノ」の名で出されたもの。ソメイヨシノという一風変った和名にも、このような経緯があったことがわかれば面白い。学名、Prnus Yedoensis Matsumの種名は江戸。江戸の桜はソメイヨシノではなかったなど、細かいことは言わないで、「花のお江戸」のイメージはそのまま残しておきたい。現東京の都花はソメイヨシノである。
 池高のソメイヨシノは、食堂前と校地の西側に植えられていて、毎春、テニスコート横の並木と共に花のトンネルをつくっている。中でも大きいものは会議室前のもので胸高直径40糎、樹高約10米で、その枝は直径12米の範囲に広がっている。ここの桜は創立当時から現位置にあったもので二度の火災にもめげないで育ち続けた池高の歴史を語る樹の一つである。昨年、この桜の枝に、鳩が営巣したが、一夜の風雨で雛が巣立つ前に落ちてしまった。
 校舎前館の西半分は少し後にさがっている。それは、木造校合を鉄筋にし、池高を一新する大工事のとき、これらの桜をできるだけ傷つけないで残すために、わざわざ、その一部をずらして建築したものである。
 このように、大切にされて咲き続けてきた池高の桜も、その寿命に近づいてきている。少しずつ若木が植えられて来ているが、これだけの花を絶やきないためには相当数の苗木が必要である。「池高の森を」という言葉をのこして、今春退官された高谷前校長が、ひそかに桜の苗木五十本を植えていかれたことをここに記録し、そのお心を長く引き継いで行きたい。
 植物の中には、他の植物の生育を妨げる物質を合成するものがある。桜の芳香のもとであるクマリンは、クローバーに作用するという。以前、生物部員が桜の葉汁とクマリン液をそれぞれクローバーに与えたところ、クローバーはいずれも枯死したが、たんねんに、桜の木の下をみると、クローバーが育っている所もある。
 校内には数多くの樹木が植えられ、また自生している。加えて、雑草とよばれる草本類も多い。人工的ながらも、それぞれ小自然をつくろうとしている。最も身近かな、校内の小自然をいつまでも大事に見守り、つくり続けて行きたいものである。


〔コメント〕
 記事で紹介されている高谷校長は、9代 高谷 重夫 校長。在任1970(昭和45)年4月から1975(同50)年3月。先生がお植えになった桜も35年以上の歳月を経ていることになりますが、どの木なのでしょう。
 記事に、1966(昭和41)年以降、本館建設の際、桜の古樹を守るため設計を変更し、西側の3分の1をずらした話が紹介されています。その時、小川謙三事務長が大阪府と交渉するなど大いに尽力されたと伝えられています。ところで、2009(平成21)年・2010(同22)年の耐震工事の際、「足場など工事予定の場所にある樹木はどうするか」と会議で質問されたとき、当時の事務長は、何のためらいもなく「伐ります」と答えました。40年の間に教職員の池田高校の樹木に対する思いも変化してきたということでしょう。記事に、「池高の森を、という高谷校長のお心を長く引き継いでいきたい」と書かれていますが、はたして引き継いでいるでしょうか、メタセコイア剪定の経過から、こんなことも考えさせられました。
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