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23nagaoka
投稿日時: 2012/9/1 18:49
管理人
登録日: 2012/2/9
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投稿: 156
記念誌「丙午 紀念」


 中川 啓史先生の「幻の池田中学校」に、明治の大阪府立池田中学校の教職員・生徒による記念誌『丙午紀念』が紹介されています。断るまでもありませんが、「丙午」は1906(明治39)年の干支です。「承風文庫」にその一部をコピーしたものが収められています。現在の池田中学校、池田高校の同窓生の方々にも見ていただきたいと思い、そのさらに一部を掲載します。目次と最後の終業式訓示、教職員の文章です。
 漢字、カタカナ、ひらがな、など表記は現行のものに改めました。また、漢字の〈読み〉と、漢文の[書き下し文]を付けました。間違いを指摘していただければありがたく存じます。
〈補足〉笹森惠之助先生のゆかりの方がこのページをご覧になって、先生のご経歴を送ってくださいました。先生の文章の後で紹介しています。



 ↓ PDFファイルへのリンクです。クリックしてご覧ください。
丙午紀念(pdfファイル2.8MB)

『丙午 紀念』 大阪府立池田中学校校友会

    目   次
 一、記念写真
 一、会長告辞
 一、特別会員所感……………………………………………………1
 一、会員所感…………………………………………………………6
 一、詞藻(論説、記事、美文、詩歌、紀行、日記、書翰)…24
 一、校誌並会誌概要………………………………………………99
 一、雑録(校報、会報)………………………………………105
 一、寄宿舎記事…………………………………………………154
 一、紀念旅行記…………………………………………………161
 一、会員名簿……………………………………………………169
 一、表紙題字(第二年級乙組磯野巖書)


第三回最終修業証書授与式挙行の際尾見校長演述の要旨

 諸子本学年間勉学の効果茲〈ここ〉に現れ、本日貴賓の来臨を辱ずかしうし、修業証書を受領せらるヽは諸子の光栄にして、予の大いに慶賀する所なり。
 今や戦雲収まり、皇威四海振るふと雖〈いへど〉も、将来の施設経営に就きては他日国民の中堅たるべき諸子の奮励に待つ所実に多大なるものあり。諸子須〈すべから〉く曠古の大戦役に於いて力戦奮闘能〈よ〉く勁敵を挫〈くじ〉ける同胞諸勇士の心を心とし、全力を学事に傾注せられんことを。
 更に一言すべきものあり。本校は所謂〈いはゆる〉大阪府教育施設十年計画の一として設立せられたる者なれども、今や僅〈わづか〉に三年を経過せるのみにて廃校の悲運に遇ひ、職員生徒等の四方に離散するも亦〈また〉近きにあらんとす。抑〈そもそ〉も、現今中学校に在学せる生徒の数は約十万に達せり。而〈しか〉して、此〈こ〉の多数の学生中、半途母校の為に棄てらるヽが如〈ごと〉き悲境に沈む者果たして幾人かある。思うて茲に到れば諸子の衷情実に同情に堪へず、然〈しか〉れども離合集散は人事の常にして如何〈いかん〉ともすべからざるなり。今日中道にして袂を分かつは離愁の忍びざる者ありと雖も、吾人豈〈あ〉に婦女子の態を学ぶべけんや。語に曰く、「男子非無涙不別離間[男子涙無きに非ざれど別離の間に灑がず]」と。請ふ快く他日の再会を期して相別れん。唯〈ただ〉別るるに臨みて三事の諸子に告ぐべき者あり。
 諸子今や母校に棄てられ、或〈ある〉いは去りて府下の九中学に、或いは遠く他府県の中学に学ぶ。学則粗〈ほぼ〉類似せりと雖も、校風校制の自ずから異なれる者なくんばあらず。転入学の当初多少の不便を免れざる可〈べ〉し。然れども諸子等は遂に新家庭の人たらざる可からざるなり。新たに得たる母校に対し、全幅の誠意を捧げざる可からざるなり。必ず所謂継児根性を出すことなからんこと吾人の切望に堪へざる所なり。長く故人を忘れざるは人情の美点なれば、常時ならんには諸子の長く本校を忘れざらんことを望むべきも、予は、此の際諸子の本校を忘れ、新母校の校風に和することの一日も早からんことを希望せざるを得ず。これ其の一なり。
 又諸子の他校に転ずるや、或いは学科配当の前後により、或いは教科書を異にせるにより、或いは学科の進度を異にせるにより、幾多の不便不利を免れざるべし。此の間にありて能く幾多の俊髦と健全なる競争を試む。必ずや非常の奮励努力を要する者あり。諸子須らく注意に注意を加へ、之〈こ〉れが為に健康を害すること勿〈なか〉れ。能く遊び能く学ぶとは言陳套なりと雖も此の間に処する唯一の良法なり。これ其の二なり。
 又思へ、建築後未だ数年ならざる此の校舎も幾年ならずして、或いはその影を留めざるべく、夫〈そ〉の植物園、運動場も亦麥隴果圃と変ずるの日あらん。仮令〈たとひ〉幾株の紀念樹を植ゑ、幾基の紀念碑を建つるも、能く幾許〈いくばく〉の風霜に堪ふべきや。唯諸子にして鬱然たる棟梁の材となり、国家に貢献するあらば、本校の生命以〈もつ〉て不朽なるべし。他日諸子と再会の時、諸子の学成り業を卒〈お〉へ、功を建て名を挙ぐるを見ば吾人の望み足れり。又何をか怨みん。諸子、請ふ長く本校生徒の名声を保全せよ。一人の功過は旧同窓者全般の栄辱に関す。克〈よ〉く思ひ克く顧み、永く池田中学校の生命ある紀念物たれ。これ其の三なり。
 以上の三事これ予の贐〈はなむけ〉として諸子に贈らんと欲する所なり。諸子、請ふ之を記せよ。

丙午紀念
廃校所感

特別会員の部
尾見 五郎
 三年以来育成せる二百の穉樹、今や四方の学園に移植せらる。庶幾〈こひねがは〉くは永く良苗圃の称ある池田の名声を失墜するなからんことを。嗚呼〈ああ〉此の間に於〈お〉ける、予が感慨実に千万無量。今試みに其の一班を挙げんか。
 廃校問題、 咄咄怪事 [廃校問題、咄咄たる怪事]
 存続運動、 父母有疾、雖不可治、無不投薬之理
     [存続運動、父母疾あらば、治すべからずと雖も、
      投薬せざるの理無し]
 廃校準備、 廃校は一種の城明渡しなり。
     各自見苦しき振る舞ひあるまじきぞ。
 別  離、 男子非無涙、不濺別離間
     [男子涙無きに非ざれど、別離の間に濺がず]
 前  途、 悲観する勿〈なか〉れ、希望は青年の生命なり。

山本 耕造
 年僅〈わづ〉かに二歳にして存廃を議せられ、三歳にして既に世を去る。汝も亦〈また〉薄命の児なる哉〈かな〉。若〈も〉し夫〈そ〉れ大阪府の教育方針確乎として動かず、理事者時勢を見るの明あり、議員其の職を辱かしむるなからんか、汝も己が天寿を全うし、当〈まさ〉に府の一角より幾多有為の材を輩出すべかりしものを。噫〈ああ〉誰か汝の不運を悲しまざるべき。吾今茲〈ここ〉に汝を葬送し、会員諸君と袖を別つに当たり、禿筆を呵してグレイ、ブライアント両氏の詩を訳し、敢〈あへ〉て文苑汚したるは、感慨まさに禁じ難きものあればなり。

梅原 龜吉
 生徒諸子と別るヽに臨み、左の古歌を以て所感を吐露す。
   忘るなよ、ほどは雲井に、なりぬとも。
      そらゆく月の、めぐり逢ふまで。

兒嶋 勘三良
 回顧すれば既に十有二年の昔甲午の夏七月、勅令高等中学を改めて高等学校となすや。当時関西の学会に覇を唱へ、京洛の東涓々たる鴨流の涯、巍々たる叡岳の麓、松風颯颯として翠滴る神楽岡畔に、紅煉瓦の高楼大厦厳めしく峙ち、位置の佳、校風の美、海内無双と称せられし、吾第三高等中学校は名実共に改まり、四十の怗恃と六百の俊髦とは忽ち離散して、同窓は六高等学校に配付せられぬ。予亦此の不運に遭遇して大蹉跌をなしヽ者、今茲丙午の春三月、またもや吾池田中学廃止の厄に際会す。学生諸子の胸裡を察し、実に今昔の感に堪へざるなり、噫〈ああ〉。

加來 鴻風
 嗚呼、有形の池田中学校は、廃せられたり。されど、諸子よ、願はくは、その訓練せられたる、無形の池田中学校をも、併せて絶滅せしむること勿れ。皐月の山、猪名の水は、長〈とこしへ〉に、諸子の前途を鑑ぜん。諸子が今後に凌〈しの〉ぐべき、社会の波濤は、豈に今日の比ならんや。須〈すべから〉く剛毅事に当たり、以て能く、これを東隅に失うて、これを桑楡に収めよ。かくて、諸子はかの巍然として聳え混々として流るヽ、皐月の山、猪名の水に対して、恥づることなしと云〈い〉ふべし。昔、断機の戒、能く孟子の大名をなせり。今廃校も亦断機の類のみ。予は、切に諸子が、断余の布片たらざらんことを、希〈こひねが〉ふものなり。

笠井 雪牕
 去ぬる頃より我が書読む窓をうち掩〈おほ〉へる松のうれに、巣くへる鳥ありけり。或る日の夕つ方、あらぶる風に吹き落とされ 、なき叫びつゝさわぎゐしが、まだ夜の明けやらぬうちに、雛は思ひ思ひに飛び行きけり。親鳥はその行く方を影の見えずなる迄〈まで〉、うち眺め居しが、はては血をや吐きけむと思はるゝばかり悲しき一声二声を遺して、いづち行きけむ。これも見えずなりけり。あはれ久しく羽ぐくみし子に別れし心如何〈いかが〉なりけむ。桓山の四鳥もかくばかりはと、いとゞ哀れの催されて、時ならぬ時雨に衣の袖を霑〈うるほ〉しけり。
鳥巣干松梢。暴風墮之。有三子焉。遶而鳴。遂飛去。母鳥目送之。哀鳴嗷々。久之亦飛去。噫。桓山之別。豈哀於此哉。
[鳥松の梢に巣くふ。暴風之を墮〈やぶ〉る。三子有り。遶〈めぐ〉りて鳴き。遂に飛び去る。母鳥之を目送す。哀鳴嗷々〈がうがう〉たり。之を久しくして亦飛び去る。噫〈ああ〉。桓山の別れ。豈に此より哀しからんや。〉
  余廃校の所感を述ぶるに既に国文にてものし、又漢訳
  せしかば、かくも行を貪ること となれり。
  これを観む人、欲深しと、な笑ひ給ひそ。

山本 淸右衛門
 蘇東坡曰く、山水秀麗なる地は偉人を出すとかや。吾池田郷は山翠水清、風光明媚、偉人傑士の輩出すべき地たり。然〈しか〉るに人材教養の源泉たる学窓は閉鎖せられんとす。吁〈ああ〉、是吉か凶か。夫れ小中大の学校を経て、卒業証の一紙片を得るは、凡人も成し得べし。驟進の門に汲々たるのみ、人生の能事に非ず。亹々乎たる事業世を益し、民を利し、一世を風靡せしむるは偉人の快事なり。今回の事業諸氏に大打撃を加え、精神の確固を促し、偉人たらしむべき最好動機に非ずして何ぞや。

辻 鶴吉
 明治三十九年三月三十一日、我が校逝〈ゆ〉く悲しき哉〈かな〉。嗚呼吾人何の辞を以て此の悲運を吊[弔と同じ]せん。去〈かへつ〉て諸子が前途を思ふに及べば、感慨胸に満ちて口言ふ所を知らず。回顧すれば予が諸子と一堂に会してより、茲に二年、時に或いは炎暑を冒して、鼓ヶ瀧に水泳を練り、時に或いは白雪を蹂〈ふみ〉て、桜井谷に雉兎を追ひ、或いは花に、或いは月に、春夏秋冬其の楽しみを共にせしこと、前後幾回なりしぞ。しかして今や諸子と相別るるの止むを得ざるに会ふ。天か時か将〈は〉た命か噫。

日置 鶴汀
 嗚呼吾が愛する五月山下の学園よ、生まれて僅かに三歳、突如廃校の不運に会ふ。吾人何を以てか慰めん。さはれ、諸子の前途は、洋々春海の望あり。今後益々修養の功を積み、他日社会の競争場裡に立つて、国家有用の材となるを得ば、学校は形体に於いて亡びたれども、其の精神に於いては、偉大の発展を遂げたりと曰はん。吾人が慰藉と希望と唯だ是のみ。国詩一章を、賦して以て諸子を餞す。
  箕面山、風に散りしく、もみぢ葉の、
        赤き心は、かはらざらなむ。

花房 浚靜
 三年の昔、五月山の麓、三州の野を一望の下に集むる、風光明媚の地に建てられたる、吾が呉服の学園は。一朝嵐の吹き来たりて、遂に凋落の不幸に遇ふに至りぬ。今や春風駘蕩。千紫万紅一時に笑はんとするの時、天何の恨みありて、独り我が学園に禍する噫。

笹森 惠之助
 嗚呼我が校の運命已に定まれり。今に及んで何ぞ必ずしも呶々せん。唯だその愛校の情をして、真の愛校の情ならしめば、今に於いて宜〈よろ〉しく一の覚悟あるべし。夫れ滔々たる世俗、大抵最後の時に於いて、醜態を演出せざるなし。されど苟〈いやしく〉も教へを我が校に受けたるもの、宜しく過去三年間の美を綜合せる、真の美を発揮して、我が校の桜花の時に先〈さきだ〉ちて、しかも猶〈な〉ほ桜花の散るが如き、美〈うる〉はしき最後の光をして、長く生命あらしむべし。これ即ち我が校の名誉を保全する所以〈ゆゑん〉にして、亦その一身を立つる所以の基たるべし。嗚呼二百の健児、それ之を忘るヽこと勿れ。
《編集者注》笹森惠之助先生の曾孫に当たる方から先生のご経歴を教えていただきました。ありがとうございます。
明治6(1873)年、津軽藩旧士族の家に生まれる。青年期に京都で絵画の修行し、その後、旧池田中学校、兵庫県龍野市の学校、現千葉大学の教員を歴任し、終戦前ご逝去。武家のプライドを持ち厳格な性格でいらっしゃった、ということです。


宮本 櫻蔭
 創立以来三星霜、風紀厳粛、前途洋々たる吾が池田中学は一朝悪魔の犯す所となつて廃せらる。誠に絶惜。
 数百の健児、東西離散、五里霧中に彷徨して、前途の光明を失ふもの幾何〈いくばく〉、嗚呼是れ誰の罪ぞ。誠に絶憐。
 遮莫〈さもあらばあれ〉、成功の玉は彼岸に燦然たり。吾人は死せる過去を捨てゝ、光輝ある将来に熱血を注がんのみ。楽哉。
 起伏は人生の習、波濤は大海の常、吾人は唯だ羅針の指す所、良知の命ずる所に従うて邁進せんのみ。勇哉。

小堀 伸三
 おのれいとけなかりし頃、叔父の許〈もと〉より桜の小さきを貰ひきて庭に植ゑ、朝な夕な水など与へて愛しける程に、三とせ経て、幹も大きく葉も茂りて、今二とせも経んには、朝日に匂ふ山桜の麗はしき花を見んと、楽しみけるに、一夜北風劇〈はげ〉しく吹き荒〈すさ〉み、彼〈か〉の若木の桜を根元より折りて、花見ん望みもきえうせ、断腸の思ひを為〈な〉したることありき。今や此の学びの舎〈や〉のすたるにつけて、ありしことゞも思ひ出〈いで〉て、今昔の感に堪へざるになん。

横道 彌三郎
我が池田中学校は開校来茲に三年、其の間職員熱心に力を職務に尽くし、生徒黽勉して心を研鑽に潜め、学業日に月に進歩す。余その他日、偉大なる人物を出すべきを信ずるなり。然〈しか〉るに今や半途にして廃校となり、二百の生徒各々〈おのおの〉離散して、府下その他の各中学校に転学せむとし、 顚頓狼狽せる状〈さま〉、恰〈あたか〉も孩児の途〈みち〉に迷へるが如し。豈に唯だ然るのみならんや、為に一旦振起せし青雲の志を挫折し、将〈まさ〉に店頭に牙籌を握りて、空しく一生を送らんとする者あり、豈に痛むべきの甚だしきに非ずや。余は生徒の為め、国家の為めに長大息せざるを得ざるなり。噫。

愚四則   金剛麓歸人
(一)樹木を、植ゑ之を培養し、而〈しか〉して其の果実を見ず
   して伐る。何ぞ愚なる。
(二)家屋を建て、之を営造し、而して其の落成を見ずして毀
  〈こぼ〉つ。何ぞ愚なる。
(三)優旗を懸け、之を競争し、而して其の入手を見ずして止む。
   何ぞ愚なる。
(四)学校を設け、之を経営し、而して其の成效を 見ずして廃す。
   何ぞ愚なる。


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