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 » 『池高新聞』より 池高の植物 ウメ 23nagaoka 2012/2/11 21:26
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23nagaoka
投稿日時: 2012/2/11 21:26
管理人
登録日: 2012/2/9
居住地: 大阪府豊中市中桜塚
投稿: 154
『池高新聞』より 池高の植物 ウメ
『池高新聞』第177号―1975(昭和50)年2月25日―より
「池高の植物3」

ウ メ(バラ科)
 玄関付近に植えられた梅の幼木が、花をつける季節になった。各地の梅林にも、白・紅・八重咲き、いろいろな花がつき始める。
  梅咲きぬどれがムメやらウメぢややら(蕪村)
昔は、ウメの他に、ムメともよばれていた。
  Prunus Mume Sieh.et Zucc.
これがウメの学名で、中のMumeは日本語である。命名者二人のうち、シーボルトは、一八二三年に、長崎に医者として派遣され、日本の植物を採集した。ツッカリニは、その標本を研究し、両者共著の「日本植物誌」としてそれを紹介した。この中に、欧米には殆どないウメが、正式の学名をつけて記載されている。
 ところが梅は、もとから我国にあったものではない。原産地は中国の中部、中国では花中の王といわれ、国花になっている。(漢名=梅)
 これが我国に最初に渡来したのは、奈良時代の頃で白梅であった。
  春されば 先ず咲く宿の梅の花 ひとり見つつや春日暮さむ (万葉集八一八)
など、万葉集には、梅をよんだとみられる歌が、一一九首ある。桜の四十首余に比べても、如何に当時の人々が梅を愛賞していたかがわかる。厳寒の中、百花にさきがけて開く花は、その香と共に、清楚で我国の人々の心によく合った。また果実も利用したので広く栽培され、梅の名所もあちこちにできた。大分県のように、山間の谷川沿いに梅が野生化した所もある。
 梅の花にIとHを重ね、白く池高の文字をのせた校章は、昭和二十三年、学制改革で池田高校が発足した時、制定されたものである。
 池高承風台の土地は、昔古代文化を伝えた帰化人が住んだ秦野(畑…旭丘は最近まで畑町であった)の地であり、昭和の初期まで数千本をようする大規模な梅林のあった土地である。この地で学ぶ人たちの未来に願いを託して制定されたものという。また、食堂の名称がHALL PLUMであることを知っている人は、少ないかも知れない。一度食券をご覧いただきたい。
 梅にまつわる物語は多い。菅原道真が流される時、書斎の梅に名残を惜しんで、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花」とよみ、その梅の枝が、空を飛んで大宰府に根を下ろしたという菅公の飛梅、清涼殿の梅が枯れ、その代わりを西の京でみつけられて帝がのぞまれたとき、「勅なればいともかしこしうぐひすの宿は問はばいかが答へん」と短冊にしたためて献上した貫之の娘の鶯宿梅などは、中でも有名である。
 また、寝殿造りの前庭には、中国流に左近の梅が植えられたが、紫宸殿の左近の梅が火災で焼失したとき、桜に植えかえられて以後、左近の桜になったという。今でも大覚寺の寝殿前庭は、左近の梅である。

〔コメント〕
 2年生の古典の授業で『枕草子―木の花は』を読んだとき、生徒に池田高校の校章の花は何かと尋ねたら、「桜」という答えが返ってきました。他の生徒に尋ねても「桜」以外の答えはありませんでした。生徒だけでなく、春、校内にあふれる桜のイメージから、池田高校の校章を「桜」と思っている卒業生は多いようです。もちろん、正解はこの記事にあるように「梅」です。
 校章のデザインは記事に説明されていますが、雄蕊の数の違いで、微妙に異なる何種類かの校章があります。『池田50年史』によると、「I」の上の雄蕊の数が3本のものが公式のデザインです。そういうことでいうと、この承風会ホームページも、同窓会報『承風だより』も公式のものとは違います。また、「池田中学校」のデザインも、ホームページのものは『池田50年史』と同じですが、『承風だより』のものは五稜の影の付き方(各稜角の左右どちらが黒く塗られているかということ)が違います。 しかし、そういう細かいことにこだわらないのが、池田高校らしさということでしょう。
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